KIMG0152

若狭小浜藩京都屋敷跡にいきました。
若狭小浜藩とは、簡単に説明。

小浜藩の藩祖は、3代将軍・徳川家光の信任厚かった大老の酒井忠勝である。
元和9年(1623)、将軍家光の命により、小浜藩当主・酒井忠勝はこの地に京都屋敷を設け、250年存続した。
幕末の最後の14代当主酒井忠義は京都所司代として有名です。代々酒井家は、幕府との結びつきが強く、和宮の降嫁や井伊直弼の安政の大獄の後押しをしてきた。小浜藩邸屋敷は御池通りから三条通まで2万坪の広さに及んだ。二条城が8万坪であったので、この小浜藩がいかに広大であったかが伺え、幕府の信頼の厚さも伺える。

小浜藩全体では、佐幕の姿勢が強かったものの、異色の人物が出ている。尊攘志士として活躍した梅田雲浜である。
梅田が京都にて尊攘運動に奔走していた頃、井伊大老の腹心として京都所司代に任官したのが小浜藩主・酒井忠義である。

またこの屋敷は一橋慶喜が上洛後の文久3年(1863)12月から、慶応3年(1867)9月までの3年10ヶ月を過ごした、幕府の活動拠点となった地でもある。慶喜はここで、京都守護職や老中所司代らと協議を重ね、大政奉還の構想を練り、慶応3年(1867)10月14日、二条城での大政奉還の布告に至った。

意外に知られてないけど、当時は重要な藩であったことがわかる。

幕末維新 最後の藩主285人